正直言ってふきのとうとの出会いと言われても、なにか特別な思いがあるわけではありません。
中学生のころ、たぶんふたつ上の姉がラジオの音楽番組を録音したテープをいつも聞いていました。うちは父の方針でテレビの時間帯が決まっていたので、当時流行っていた音楽番組をほとんど観ることができず、ラジオやカセットテープが音楽への窓口でした。
当時沖縄では、フォーク全盛期ではなかったかと思います。
そのカセットテープには、いろんなアーテイストの曲が入っていて、ふきのとうはその中のひとつでした。
なので、ほとんどの曲はタイトルもわからない、誰の歌なのかもわからないまま、潜在的な記憶です。
歌を聞いて「これ、ふきのとうだ」というのがわかったのは細坪さんの透明感のある美しい声と、センチメンタルなメロディのおかげかな。
そのうちに自分でも意識してふきのとうの曲をさがすようになり、よく聴くようになっていきました。あいかわらずタイトルがわからないままだったので、山木さんの書いた曲を細坪さんがメインで歌うというスタイルであることもずーと知りませんでした。
山木さんのボーカルを初めて聞いたのはなぜかうちにあったライブのテープで、細坪さんが山木さんとの出会いの話をされて、最初に歌われたのが「恋人たちのメロデイー」という話をされたときです。出だしのほうで照れて、つまったりするのもなぜか鮮明に覚えていて、「うわ~、山木さんの声も素敵~!]と思ったものです。
去年5月に新冠のレコード館に行ったとき、その時聴いていたライブのレコードを見つけて聴いたときは懐かしい気持ちでいっぱいでした。細かいMCまで、なぜかちゃんと覚えていて、不思議でした。あれから何十年?たったというのに。
そのライブで細坪さんが「リードボーカルを初めてまかされた歌」といって、「成人式」を
歌ったので、リードボーカル=作者だと勘違いしてしまった私は、ほとんどが細坪さん作だと思っていたので、レコード館で、作者の名前を見て、「あれもこれもリードボーカルは細坪さんと思っていたのに、山木さんだったの?」とわけがわからなくなりました。
アホでしょう?少々難聴もちとはいえ、細坪さんと山木さんの声が別人であることくらいわかりそうなものなのに。
その後、ネットで調べるうちに真相がわかったのですが。
私がふきのとうを聴いていた時間はそんなに長くありませんでした。
高校を卒業して上京したときにはもうほとんど聴けなくなってしまいました。引っ越しで、物理的に今までのテープをもっていけなかったのもあるし、仕事が忙しくて、音楽にいそしむ余裕がなかったのもあるし。ほかのアーテイストさんの歌を聴いたりしてたことも。東京では沖縄ほどメジャーじゃなかったのかもしれません。
ただなにげなく口ずさむ鼻歌の中にしかふきのとうはいませんでした。
北海道へ移住してからも生活に追われて、音楽とは縁遠い暮らしでした。音楽を楽しむ余裕ができたのは最近のことです。
「そういえば、ふきのとう、よく聴いていたな」と思い立ちネットで検索して、その後、解散したこと、今もそれぞれ活躍されていることを知り、ついでに山木さん作の曲を細坪さんがリードボーカルで歌うスタイルだったことを知り、お二人の仲がこんなんだったことを知り・・・
最初に行きついたのは山木さんのページでした。ミュージックダイアリーを読んでいくうちに、だんだんと窮屈さをおぼえるようになり、このページにたどり着きました。
正直にいうと、ふきのとうにたいする思い入れはてふさんや、ほかのみなさんとは温度差があると思います。
それでも、てふさんの思いを聴いていると、こんなにふきのとうって愛されてるんだな~
すごいな~って思います。
5月に初めて山木さんのライブに行って、今度は細坪さんのライブにも行きたいと思っています。
あまりロマンチックな話じゃあなくてすみません。私のはこの程度です。
今はそこまであつくなられるてふさんに興味があります(笑)